ミシュランへの掲載を拒否した京都の料理人 /
2009年 09月 14日
今朝、書き上げた原稿を送付して、何気なくテレビをつけたら、この秋、ミシュランの京都・大阪版が発売されるが、京都の老舗料理店の多くが掲載を拒否しているという話題だった。
その中で料亭「浜作」のご主人、森川裕之さんがインタビューに答え
「京料理のお口と西洋料理のお口は違います」
というようなことをおっしゃっていた。西洋料理の感覚で京料理を判定してほしくないとおっしゃりたかったのだろう。
確かにミシュランは皿の上に乗った料理しか評価しない。店の雰囲気や接客態度などは付随情報にはなるが☆には関係ない。
僕の知る限り京料理だけでなく、多くの料理は皿に盛られたものだけではなく、店の雰囲気、伝統、接客、様々な要素が複合して、味となって客の口に運ばれる。
極端に言えば公衆便所でどんな料理を食ったって美味しく感じられるわけがない。
テレビで「浜作」の文字を見て懐かしく思った。僕は裕之さんのお父さんに大変お世話になった。
15~6年前だったか日本テレビの「TIME21」というドキュメンタリー枠の番組で「京の料亭」をテーマに番組を作ることになった。
そこで京の老舗料亭を三軒選び、そのコーディネイトをある人の紹介で浜作の親父さんにお願いした。
京の料亭取材は格式や伝統、出所にこだわる所が多く、組み合わせを間違えると
「○○はんを取材されるんどすか。ほんならウチは御遠慮させてもらいます」
なんてことになりかねない。
浜作の親父に選んでもらえばどこからも文句は出ない。
取材当日、プロデューサーと一緒に京都に行った。浜作の親父さんとの約束時間より早く着いたので、親父が紹介してくれることになっている料亭に御挨拶だけでもしておこうということになった。
ところが挨拶を済ませて約束の時間に親父さんの家に伺うと、玄関の奥から
「出て行けぇ!」
と怒鳴る浜作の親父の声が飛んできた。家人の話では我々が挨拶をした料亭から、親父に連絡が入り、親父を通さずに勝手に行動したことを怒っているというのだ。
僕たちは謝罪したが許してもらえない。浜作の親父さんが許してくれなければこの番組は成り立たなくなってしまう。成り立ったとしても二流、三流の料亭になってしまう。
浜作の親父さん宅の前に立つ我々に親父さんからお許しが出て、家の中に通されたのは3時間あまり後だった。
その後、親父さんは親身になって面倒を見てくれた。我々を引き連れてクラブに連れていく。酒が飲めない親父さんはジュースを飲みながら、京都の仕来りや、料理人の裏話などを教えてくれた。
ある日、僕の自宅に小包が送られてきた。浜作の親父さんからだ。開けると中から、鰯の佃煮や、塩昆布などの手作り料理と、二号大の額縁に入った自筆の絵画が入っていた。 まるで遠く離れて東京で下宿する息子にあてた親父の小包のように、それは温もりにあふれていた。
その浜作の親父さんはすでに鬼籍の人となっているが、当時、同じく京都の一流料亭である「ひょう亭」に修行に出されていた息子さんが、今、毅然とミシュランへの掲載を拒否しているのを見て、あの親父さんの気骨は確実に受け継がれていると思った。
その中で料亭「浜作」のご主人、森川裕之さんがインタビューに答え
「京料理のお口と西洋料理のお口は違います」
というようなことをおっしゃっていた。西洋料理の感覚で京料理を判定してほしくないとおっしゃりたかったのだろう。
確かにミシュランは皿の上に乗った料理しか評価しない。店の雰囲気や接客態度などは付随情報にはなるが☆には関係ない。
僕の知る限り京料理だけでなく、多くの料理は皿に盛られたものだけではなく、店の雰囲気、伝統、接客、様々な要素が複合して、味となって客の口に運ばれる。
極端に言えば公衆便所でどんな料理を食ったって美味しく感じられるわけがない。
テレビで「浜作」の文字を見て懐かしく思った。僕は裕之さんのお父さんに大変お世話になった。
15~6年前だったか日本テレビの「TIME21」というドキュメンタリー枠の番組で「京の料亭」をテーマに番組を作ることになった。
そこで京の老舗料亭を三軒選び、そのコーディネイトをある人の紹介で浜作の親父さんにお願いした。
京の料亭取材は格式や伝統、出所にこだわる所が多く、組み合わせを間違えると
「○○はんを取材されるんどすか。ほんならウチは御遠慮させてもらいます」
なんてことになりかねない。
浜作の親父に選んでもらえばどこからも文句は出ない。
取材当日、プロデューサーと一緒に京都に行った。浜作の親父さんとの約束時間より早く着いたので、親父が紹介してくれることになっている料亭に御挨拶だけでもしておこうということになった。
ところが挨拶を済ませて約束の時間に親父さんの家に伺うと、玄関の奥から
「出て行けぇ!」
と怒鳴る浜作の親父の声が飛んできた。家人の話では我々が挨拶をした料亭から、親父に連絡が入り、親父を通さずに勝手に行動したことを怒っているというのだ。
僕たちは謝罪したが許してもらえない。浜作の親父さんが許してくれなければこの番組は成り立たなくなってしまう。成り立ったとしても二流、三流の料亭になってしまう。
浜作の親父さん宅の前に立つ我々に親父さんからお許しが出て、家の中に通されたのは3時間あまり後だった。
その後、親父さんは親身になって面倒を見てくれた。我々を引き連れてクラブに連れていく。酒が飲めない親父さんはジュースを飲みながら、京都の仕来りや、料理人の裏話などを教えてくれた。
ある日、僕の自宅に小包が送られてきた。浜作の親父さんからだ。開けると中から、鰯の佃煮や、塩昆布などの手作り料理と、二号大の額縁に入った自筆の絵画が入っていた。 まるで遠く離れて東京で下宿する息子にあてた親父の小包のように、それは温もりにあふれていた。
その浜作の親父さんはすでに鬼籍の人となっているが、当時、同じく京都の一流料亭である「ひょう亭」に修行に出されていた息子さんが、今、毅然とミシュランへの掲載を拒否しているのを見て、あの親父さんの気骨は確実に受け継がれていると思った。
by minamikawa-taizo
| 2009-09-14 18:27





