お粗末な教養ゆえに /
2012年 06月 21日
ちょっと仕事上、必要があってこの数日、シュメール文明と日本のつながりを調べている。
何やら日本各地にシュメール語が刻まれた岩が存在していたり、難解な古事記がシュメール語で解読出来るなど、ゆかいな説がゴロゴロ転がっている。それをまともに信じるにはお粗末な教養が邪魔するし、頭から否定するにはやはりお粗末すぎる教養が邪魔をする。
シュメールの謎でなくても恐龍と人類の共存説や、邪馬台国四国説など僕の未熟な教養に心地よい刺激を与える話が少なくない。
中でも恐龍が生きていた頃の地球は重力が低かった。だから、あれだけの巨体が動き回ることが出来たという説は僕のお粗末な教養ではひたすらフムフムと頷くしかない。
今や考古学に欠かせない様々な年代測定法にしても、基礎となる条件が違えばまるっきり年代が違ってくるらしい。段階的な地層に縦に埋没している化石があるってどう考えればいいのだろう。ひょっとしたら僕たちが正しいと思い込んでいることの多くは間違っているかも知れないとお粗末な教養は思ってしまうのだ。





