近松門左衛門と赤穂浪士
2005年 12月 28日
口伝解禁「近松門左衛門の真実」という奇妙な本がある。著者は近松洋男さん、略歴を見ると京都外国語大学名誉教授でスペイン語の大家でスペイン文化勲章の受章者というから大変な方だ。そういう方が何故、近松門左衛門の真実をお書きになったかと言えば、著者名でも分かるとおり近松洋男さんは東洋のシェークスピアと言われる近松門左衛門の末裔で、門左衛門生誕350年を迎えたのを機に、代々、近松家に伝わって来た口伝をこの際、公表することになったと言うのだ。
京都のお宅でご本人にもお会いしたが、年齢は82歳。公家さんのような雰囲気と気品のある顔立ちでしゃべり方もおっとりとしている。
この洋男さんの物静かな話からビックリ仰天、驚くべき近松門左衛門の真実が飛び出したのだ。
つまり、近松門左衛門は福井藩士の次男として生まれ、旧名、杉森信盛。12歳の時、赤穂藩の御殿医である近松伊看の養子となり、京都の三条家に仕え、その後、赤穂藩に籍を置いて塩の販売を手がけた。
近松伊看の息子、近松勘六は後に忠臣蔵四十七士の一人となり、門左衛門は討ち入りに当たって勘六の子供に累が及ぶのを避けるため、二人の子供を養子にしているというのだ。
しかも、近松門左衛門は京都の近松寺に鎖国で逃げそびれたスペイン人やポルトガル人の牧師をかくまって、彼らからスペイン語をならった。
そのため門左衛門はスペイン詩劇に大きな影響を受け、門左衛門の戯曲にはスペイン語の影響が見られると言うのだ。
全く奇想天外な話で近松門左衛門を知らない人にとっては何が奇想天外なのかもよく分からないだろうが、これが事実とすれば近松研究数十年という学者も真っ青になるほどの驚愕的な歴史学上の事件となる。
近松洋男さんに先祖代々の口伝の根拠は?何か古文書か、証拠となるような資料は?と
お聞きしても
「絶対に外に漏らすなと言われた口伝なので、証拠となるようなものは一切残しませんでした」
と飄々とおっしゃる。
近松門左衛門の出生についても、最近になってようやく福井説と山口説に絞られ、学者はおおむね福井説を支持しているが、これだけでも100年以上に渡る論争が繰り返されてきた。
ましてや、門左衛門が20歳ぐらいの時から、浄瑠璃の作者として名前が記録される三十一歳頃までの十年近くは空白の十年とも言われており、それをあっさり口伝とはいえ赤穂藩で塩の事業をしていたと言われた学者たちの当惑はいかばかりかと思った。
ところが学者たちはこの近松洋男さんの著書を無視した。読もうとしない学者さえいた。何の裏付けもない口伝など学問の対象にならないと言うのだ。
なるほど、それは正しい。よくよく調べれば近松洋男さんが門左衛門の末裔と言えるかどうかも確証はない。
一方で近松洋男さんの人格やスペイン語研究における実績などを考慮すると、嘘やデタラメをあえて本にする必然性はどこにもない。
それよりもいくら口伝だから学問的価値がないと言っても、読んでみるぐらいのことはされてもいいと思うのだが、頭から拒否という学者もいた。
近松洋男さんの著書「口伝解禁「近松門左衛門の真実」は本当に価値のない老スペイン語学者のたわごとなのか?
僕たちが調べた中でたった一つ裏付けが取れたものがあった。
と言うのは近松門左衛門作の「酒呑童子枕言葉」の「頼光童子対面の段」に出てくる「インニン ギャライガルマンス ガウガウーラウ」という呪文のような言葉は洋男さんに言わせれば俗ラテン語だというのだ。
早速、浄瑠璃の関係者に聞いてみると、みんなどういう意味か分からないまま言葉通りに演じていたという。そこでスペインのマドリッド大学の俗ラテン語の専門家に直接聞いて見ると、確かに俗ラテン語に翻訳出来るというのだ。
この謎の呪文のような言葉「インニン ギャライガルマンス ガウガウーラウ」を俗ラテン語に翻訳すると「ガルマナ川のフランス娘たちよ。龍女を称える歌が頭上を流れているぞ」というような意味になるんだそうだ。
これが事実なら近松洋男さんの説はほんの一部だが裏付けられたことになる。
しかし、後は藪の中だ。おそらく永久に近松洋男さんの口伝は科学的に実証されることはないだろう。本は実に面白い。一読をお勧めする。これが洋男さんの作り話だとしたら天才的な才能さえ感じる。読みながら思わず「なるほど!」と頷いてしまうことも珍しくない。
「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず」つまり虚像と実像の間を描いた近松門左衛門はこの奇書をあの世で笑って読んでいることだろう。今時、学者の著書でも「虚にして虚ばかり」が多いゆえに。
京都のお宅でご本人にもお会いしたが、年齢は82歳。公家さんのような雰囲気と気品のある顔立ちでしゃべり方もおっとりとしている。
この洋男さんの物静かな話からビックリ仰天、驚くべき近松門左衛門の真実が飛び出したのだ。
つまり、近松門左衛門は福井藩士の次男として生まれ、旧名、杉森信盛。12歳の時、赤穂藩の御殿医である近松伊看の養子となり、京都の三条家に仕え、その後、赤穂藩に籍を置いて塩の販売を手がけた。
近松伊看の息子、近松勘六は後に忠臣蔵四十七士の一人となり、門左衛門は討ち入りに当たって勘六の子供に累が及ぶのを避けるため、二人の子供を養子にしているというのだ。
しかも、近松門左衛門は京都の近松寺に鎖国で逃げそびれたスペイン人やポルトガル人の牧師をかくまって、彼らからスペイン語をならった。
そのため門左衛門はスペイン詩劇に大きな影響を受け、門左衛門の戯曲にはスペイン語の影響が見られると言うのだ。
全く奇想天外な話で近松門左衛門を知らない人にとっては何が奇想天外なのかもよく分からないだろうが、これが事実とすれば近松研究数十年という学者も真っ青になるほどの驚愕的な歴史学上の事件となる。
近松洋男さんに先祖代々の口伝の根拠は?何か古文書か、証拠となるような資料は?と
お聞きしても
「絶対に外に漏らすなと言われた口伝なので、証拠となるようなものは一切残しませんでした」
と飄々とおっしゃる。
近松門左衛門の出生についても、最近になってようやく福井説と山口説に絞られ、学者はおおむね福井説を支持しているが、これだけでも100年以上に渡る論争が繰り返されてきた。
ましてや、門左衛門が20歳ぐらいの時から、浄瑠璃の作者として名前が記録される三十一歳頃までの十年近くは空白の十年とも言われており、それをあっさり口伝とはいえ赤穂藩で塩の事業をしていたと言われた学者たちの当惑はいかばかりかと思った。
ところが学者たちはこの近松洋男さんの著書を無視した。読もうとしない学者さえいた。何の裏付けもない口伝など学問の対象にならないと言うのだ。
なるほど、それは正しい。よくよく調べれば近松洋男さんが門左衛門の末裔と言えるかどうかも確証はない。
一方で近松洋男さんの人格やスペイン語研究における実績などを考慮すると、嘘やデタラメをあえて本にする必然性はどこにもない。
それよりもいくら口伝だから学問的価値がないと言っても、読んでみるぐらいのことはされてもいいと思うのだが、頭から拒否という学者もいた。
近松洋男さんの著書「口伝解禁「近松門左衛門の真実」は本当に価値のない老スペイン語学者のたわごとなのか?
僕たちが調べた中でたった一つ裏付けが取れたものがあった。
と言うのは近松門左衛門作の「酒呑童子枕言葉」の「頼光童子対面の段」に出てくる「インニン ギャライガルマンス ガウガウーラウ」という呪文のような言葉は洋男さんに言わせれば俗ラテン語だというのだ。
早速、浄瑠璃の関係者に聞いてみると、みんなどういう意味か分からないまま言葉通りに演じていたという。そこでスペインのマドリッド大学の俗ラテン語の専門家に直接聞いて見ると、確かに俗ラテン語に翻訳出来るというのだ。
この謎の呪文のような言葉「インニン ギャライガルマンス ガウガウーラウ」を俗ラテン語に翻訳すると「ガルマナ川のフランス娘たちよ。龍女を称える歌が頭上を流れているぞ」というような意味になるんだそうだ。
これが事実なら近松洋男さんの説はほんの一部だが裏付けられたことになる。
しかし、後は藪の中だ。おそらく永久に近松洋男さんの口伝は科学的に実証されることはないだろう。本は実に面白い。一読をお勧めする。これが洋男さんの作り話だとしたら天才的な才能さえ感じる。読みながら思わず「なるほど!」と頷いてしまうことも珍しくない。
「虚にして虚にあらず、実にして実にあらず」つまり虚像と実像の間を描いた近松門左衛門はこの奇書をあの世で笑って読んでいることだろう。今時、学者の著書でも「虚にして虚ばかり」が多いゆえに。
by minamikawa-taizo
| 2005-12-28 23:06





