一字違えば大違いハケに毛あり、ハゲに毛なし
2006年 02月 26日
これは古くからある言葉遊びの一つだ。これに似たようなことがテレビ番組でもある。
「視点違えば大違い」
という奴だ。つまり映像や取り上げた素材は同じでもナレーションや音楽によってすっかり中身が変わってしまう。一例をあげてみよう。ニュース番組でレポーターが東京の某下町をレポートしたとしよう。まずAパターン。
「さびれゆく下町商店街の巻」
A レポーターが下町の商店街を歩きながら
「私が今立っているのは○○商店街です。御覧のように大型スーパーや、大型店に押され て、古くから地元で頑張って来た商店が次々に姿を消しつつあります。品数が多く、大量仕入れによる値引き販売が可能な大型店に小さな個人商店は太刀打ちできません。
しかも、個人商店が消えていく理由は、資本力だけではなく、昔ながらの古い経営方法にもあるようです」
地元客のインタビュー
Q 「何故、商店街で買い物しないのですか? 」
客 「欲しい品物がないから~」
お次はBパターン。
「どっこい生きてる下町情緒の巻」
B 今、私は○○商店街に来ています。大型店に押されて、消えていく商店もありますが、ここ には今も下町の人情が活きています。大型店に比べると値段や品数では勝てない所もあるようですが、親子三代に渡って魚屋を営むこの店のご主人は魚のことなら、何でもご存知です。料理の仕方だって教えてくれます。
地元客のインタビュー
Q 「安いスーパーは利用しないんですか? 」
客 「もうじいちゃんの時からこの店で買ってるんだ~」
どう?これAもBも同じ商店街。同じ素材でも視点を変えれば受け止め方も様々に変わってくる。どちらかが嘘のレポートをしているわけじゃない。どっちも正真正銘の事実なのだ。
同じ素材でもニュースで取り上げる場合と、バラエティで取り上げる場合でも違ってくる。
アマゾンの映像がある。カメラゆっくりとズームインしていくと、そこにアマゾン大カワウソの群が、その数、40頭。絶滅危惧種に指定されているにもかかわらず、毛皮をとるための密漁者が絶えず、一等分の皮が200万円で取引されているという20秒ほどの映像。
これがニュース番組なら、
「アマゾンで絶滅危惧種として希少な存在であるアマゾンオオカワウソの大群が発見されました。その数およそ40頭ほどで、これだけのオオカワウソが発見されるたのは初めてです」
てな具合になる。
ところが同じ映像でもバラエティとなると
「やってきました! 大アマゾン! ナントその上流で8000万円のお宝発見! この絶滅寸前の生き物の毛皮が一頭200万円で売れるんだって! カワウソちゃんたち毛皮にされえカワウソー!(かわいそう!) 」
てな調子になる。映像は全く同じだ。情報も間違ってはいない。しかし、実際に音楽とナレーションを変えれば全く違う番組になってしまう。
映像は丸飲みにするな。疑ってかかれ。映っているものは事実だが、伝わるものは真実とは限らない。
「うちの鬼嫁は素晴らしい鬼嫁だ」
これは真実だ。
泰三のブログのフロク「悪魔のひとこと辞典」
「映像とは 嘘から出た誠、誠からでた嘘」