カラカラカラ。空回り・金回り
2007年 01月 27日
どうも僕らの世代は仕事が好きで、入ってくる仕事をお断りするのはもったいないと思ってしまう。
その反面、ギャラ交渉となるとからっきしだらしない。制作費が切りつめられて厳しい状況の仕事を強いられている小さな制作会社に、ギャラアップは言い出せない。
ある部分では頑固なくせに、ギャラの話になると「ま、いいか」と思ってしまう。実際は「ま、良くない」のだが「ま、いいか」と思ってしまう自分が情けなくもある。
かつて若いライターを30人ばかり抱えていた頃
「ギャラで仕事を差別するな。どんなに安い仕事でも視聴者はこれは安い仕事だからと思ってくれるわけじゃない。ギャラが高くても安くても仕事は仕事、手をぬくな」
と言い続けてきた。今もその信念は変わっていないから、自分の首を絞めることになる。
どういう風に首が絞まるかというと、安い仕事を大量に消化し、しかも、そのクオリティを保とうとすれば物理的な時間が必要になる。つまり寝る時間がますます少なくなる。寿命もついでに縮まることにもなりかねない。
この年になって命を削るようなことをしていていいのかという想いはある。しかし、暇なら長生きするという保証もない。
残る人生でやっておきたいことが多々あるが、その多くは金には結びつかない。やりたいことをやれる環境を作るには、バックボーンとなる銭が必要だ。銭を稼ぐためには仕事をしなければなならない。すべて悪循環だ。
カラカラカラ。空回りの音が聞こえてくる。
確かアメリカの映像作家、アンディ・ウオーホールだったと思うが、人間誰しも人生に一度のチャンスがあるというようなことを言ったという。
そのチャンスとやらは二通りある。金持ちになるチャンスといい仕事に恵まれるチャンスだ。この二つは決してイコールではない。
僕の場合は金持ちになるチャンスがあった。放送番組で稼ぎまくり年末年始で僕が関わった番組が10本近くになったこともあった。
あの時、もしも打ち切りになった「あるある大辞典」みたいな仕事をしていたら、僕は放送作家として、いい加減な実験やデーターの捏造をやめるべきだと主張出来ただろうか?番組を降ろされる覚悟でなければ絶対に言えるものではない。30人ものスタッフを抱えていた僕が出来たとすれば、プロデューサーが主導する流れに賛成はせず、反対もせずせいぜい沈黙を守るしかなかったと思う。
放送作家としてゴールデンタイムの人気番組を掴むことは、その波及効果も含めて金銭的メリットは大きい。
幸いなことにそういう良心の呵責にかられる想いをする番組に当たらなかったが、正義面をして、あるあるを追及する資格は僕にはない。
番組を降ろされようが、仕事をなくすことになろうが、自分の信念に基づいてモノを言うようになったのは極最近だが、正義感などという高尚なもんじゃない。
今更、妥協したり媚びを売ったって金持ちにはなれないし、安い仕事をなくしたからと
いってどうってことはない。「ま、いいか」と思えるようになっただけだ。
今は金よりもいい仕事に恵まれるチャンスが欲しい。さあ、仕事に戻らなくちゃ。ささやかな収入のために。





