真面目・不真面目、出鱈目論議
2005年 09月 15日
引き受けない。どこぞの首相なみの変人だ。
小説「オタクの恋」はインターネットの「復刻本ブログ」とやらで3票あったと喜んでいた。何でも
100票になると本が再販されるそうで
「あと97票だ!」
などとほざいている。放送の仕事を本気でやれば、そんじょそこらの作家よりは圧倒的に才能があり、もったいないと思うのだが、そういうキッドの偏屈さが好きだ。
「番組なんてパクリが基本。<世界の中心で愛を叫ぶ>はSF作家ハーラン・エリスンの
<世界の中心で愛を叫んだけもの>のタイトルをパクっている」
と口から出る言葉は辛辣だが、キッドの本質は超といってもいいほど真面目人間だ。彼のノートは性格を表すように生真面目な文字が並んでいるし、そこには仕事の内容やアイディアや情報がキチンと整理されて印されている。
たまたま今夜の「ニュース23」でMCの筑紫哲也さんが、民主党の管さんが言った「今度の選挙は真面目と不真面目の対決で真面目が不真面目に負けた」という発言を取り上げ、
「真面目さが否定されたがこれからは真面目であることが求められていくはずだ」というようなことを発言していた。
何を言っとるんだ筑紫さん。今回の選挙は岡田さんの真面目さが否定されたんじゃありません。ましてや小泉さんが不真面目とも思いません。
「これからは真面目であることが・・」
国民は真面目さを否定しているわけじゃない。真面目でも余裕のない真面目さに不安を感じたのだと僕は思う。親友の変人キッドがクソ真面目人間であるように、時にふざけて見せる小泉だからと言って不真面目とは言えない。
この数日、マスコミの選挙総括には首を傾げることが多い。
「自民党の選挙戦略の勝利」「劇的アピールの成功」「小泉キャッチフレーズに国民が引きずられた」などなど、あたかも選挙戦術の巧みさが、今回の自民党の勝利をもたらしたと言う論評が
目立つ。
「違うんじゃないの?」
と思う。それじゃ国民は善良な騙されやすい烏合の衆じゃないか。CMがヒットしても、その商品に対するニーズがなければ売れないし、質の悪い製品をどんなに巧みに宣伝しても受け入れられるものではない。
国民は今回に限り、しっかりと小泉自民党を選択したのだ。今回、初めて一票を投じた有権者は評論家やニュースキャスターのように政治通や選挙通でない分、素直に、かつ、正しく選択をしたのだ。まあ、中には僕のように屈折的投票をした有権者もいるだろうけどね。





